「ちむどんどん」と同時代生きる沖縄・やんばるの女性 那覇に憧れた幼少期、苦楽は洋ランとともに
「ちむどんどん」と同時代!名護市やんばるの名誉女性農業士のストーリー!
産声を上げてから原体験をつくる時期、長いのか短いのか貴重な人生の旅路の初期段階を沖縄で過ごした人に地元の姿、その生活を聞きました。
1972年5月15日の本土復帰からの50年のストーリーの中に生きた言葉に耳を傾けました。
名誉女性農業士の岸本信子さん
女性農業士という存在を知っている人は1000人に一人より多いでしょうか?
地域の農業の振興のため後継者の育成や魅力ある農村づくりに指導的役割を果たした地域のリーダー、それも女性が認定されるというもの。
漁業版もありますが沖縄名護市で農業女性版の野球の長嶋茂雄さんに相当するような名誉女性農業士に選ばれたのが今回話を聞いた岸本信子さんです。
「山原女性農業者の会」の活動の他、30年以上もの長い間洋ランの栽培を地道に続けてきたことが国の評価の決め手になりました。
岸本信子さんの農業貢献
岸本信子さんは「山原女性農業者の会」の代表を務め過去5年間で新規就農者の支援数を4倍に押し上げました。
このことが評価されて2021年の終わりに「山原女性農業者の会」は「ディスカバー農山漁村(むら)の宝」に選ばれました。内閣官房および農林水産省が主催する名誉ある受賞です。
岸本さんの育ってきた沖縄
岸本さんが誕生したのはお母さんの実家のある宮古島でした。
岸本さんが記憶を語る沖縄はそこではなく1歳から住み続けている名護市になります。
沖縄でも農業が盛んな沖縄本島北部エリアで山原(やんばる)と呼ばれNHK連続テレビ小説「ちむどんどん」の舞台でブレイク中です。
ドラマと岸本さんが育った時代はまさにオーバーラップしています。
岸本さんの子ども時代の名護市は農地が広がっていました。
一方、現在の名護市役所がある辺りには墓地が並び繁華街には辺野古や金武などからも米兵が訪れて賑やかだったそうです。
習い事から今の様にアスファルト舗装されていない夜道を足早に帰り両親の雑貨店を覗くと米兵たちが楽しそうに英語で話すのを見ると心が躍ったといいます。
岸本さんは野山を駆けまわり、時には用水路に落ちて笑っているそんな普通の小学生でした。
アダンの葉で風車を作るのが得意でした。
当時の年に一度のお楽しみが音楽の発表会で那覇に小旅行することでした。ガタガタ道でバス酔いは辛いものでしたが、ハンバーガーやスープを食べる喜びがそれを帳消しにしてくれました。
アメリカ人と一緒に食べているとまるで外国に来ているような気持ちになったといいます。
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