【震災・原発事故12年】亡き夫との夢、飯舘村で 食品加工場再開、新たに民泊も までい工房美彩恋人 渡辺とみ子さん
飯館村で民泊始動!農業体験と食品加工場を体験!原発事故後12年亡き夫の思いを実現
飯舘村の食品加工場を復活
「復興に向けて歩みを進める福島県飯舘村の魅力を伝えたい。天国から見ていてね」。
最愛の夫がいる大空を仰ぎながら話すのは渡辺とみ子さん69歳です。
およそ12年できなかった食品加工場「までい工房 美彩恋人(びさいれんと)」の飯舘村での復活を実現させました。目的は飯館村でしか食べられない食を継承していくことです。
具体的には飯舘村オリジナル品種のカボチャを使った料理や、飯舘村ローカルスイーツの凍(し)み餅などです。
原発事故以前の夫が飯館村で加工場を始動
夫の福男さんはもともとは飯館村で大工をしていました。
1975年福島市出身のとみ子さんと結婚しました。
その後農業に転身して飯館村オリジナル品種の雪っ娘カボチャを中心に6次化商品を開発してきました。
その後2007年に食品加工場「までい工房 美彩恋人(びさいれんと)」を今回と同じ大館村の自宅の敷地内で始めました。
原発事故から避難先での夫の活動
東日本大震災、東京電力福島第1原発事故が起きるまでは加工場を順調に稼働してきました。
事故後福島市に避難することになりました。
そこで帰れなくなった地区の食文化が廃れることを食い止めようと、飯館村、葛尾両村の女性たちと協力して福島市松川町をホームに「かーちゃんの力・プロジェクト協議会」を立ち上げました。
阿武隈地域の伝統食を継承していく取り組みに会長として尽力しました。
福男さんが発起人になって福島市内の荒井に加工場を作りました。
雪っ娘カボチャを福島市内で育てて加工場でお菓子や郷土料理のお惣菜を作りました。
まろやかな味が好まれて人気が集まりました。そんな中で、やはり飯館村に戻って工場を再建して地元で作った農作物や凍み文化を継承して行きたいという思いが強くなりました。
避難解除から飯館村で加工場を再建
2017年3月まで避難指示は続きましたが、福男さんはこの間も飯館村に戻ってからのビジョンを度々口に出して話すようになっていました。
「今のように農業をしながら食品加工を飯館村でやりたい。さらに民泊をやってみたい」。
そして解除と同時に飯館村の自宅に戻って隣の土地に加工場の建設を始め完成させました。
その後2018年12月福男さんは患っていた病気のため亡くなりました。
残されたとみ子さんは昨年の6月介護してきた義母も亡くなりついに一人になりました。
でも、「落ち込んでる時間はない」とついに加工場を本格的にスタートさせました。
地元で採れた新鮮なタマネギ、サツマイモなどを惣菜に加工する。出荷先はいいたて村の道の駅などです。
村内の会議で食べる仕出し弁当の注文もコンスタントに入ります。
今後は飯館村と福島市内と両方の加工場を運営していきます。
農業と加工場を体験できる民泊を始動予定
渡辺さんは夫の思いを全てかなえるべく自宅を農業体験ができる民泊施設にリノベーションして来春に集客を開始します。
小人数を宿泊させて一緒に農業をする民泊を始めて福男さんの思いを実現させようとしています。
収獲の時期には一緒に畑で雪っ娘カボチャを採ってきてそれを使って郷土料理を作って食べてもらう。
加工場では凍み餅づくり体験もしてもらいたいと考えています。
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